創ろう探そう横須賀らしい景観づくり

 

   

 

★第5回  

 

  よこすか都市景観協議会賞・受賞団体紹介

 

 

 

後世に伝える浦賀の鏝絵(こてえ)普及活動

 

 江戸時代、浦賀は商人の町として栄え、商人の屋敷や土蔵造りの蔵が建ち並び、漆喰壁を塗る優れた技術を持った左官職人も数多くいました。その中でも鏝絵(漆喰彫刻)は、欄間や壁に漆喰を用いて鏝で立体的な模様や絵を描く左官の高等技術です。

今でも浦賀の寺社仏閣では鏝絵を数多く見ることができますが、高度の技術と労力を要する鏝絵の技を伝える後継者が少なくなっているのが現状です。

こうした中、鏝絵の名人と謳われた石川梅尾(1908年~1988年)に師事し、鏝絵の技法を習得した辰巳忠志さんは、浦賀の鏝絵を後世に伝え、すばらしい景観を未来へつなげる活動をおこなっています。

 

 

②横須賀「海と船が見える坂道」

      発掘・マップ作成活動

 

三方を海に囲まれた横須賀市は、三浦半島の豊かな自然に恵まれており、山地・丘陵からなる起伏の多い地形で、坂道やトンネルの多さが景観の特色になっています。

戦前は、造船などの産業や軍港都市としての発展により、谷戸と呼ばれる地域にまで住宅が増え、また戦後は、丘陵の宅地開発や埋め立てにより、らに人口が増加しました。

 活動者の吉田さんは、その谷戸や丘陵地にある「海と船が見える坂道」に着目し、追浜から浦賀・川間に至る坂道を踏破されました。そして、横須賀「海と船が見える坂道」マップを作成し、美しい景観を発掘する活動で横須賀の魅力を紹介しています。 

 

 

③広告景観推進協力員の活動 

 

 広告景観推進協力員とは、横須賀市が市民に委嘱という形で、違反広告物の除去・指導の権限を委任した無償のボランティアです。

道路や商店街にある電柱や街路灯等に違法に掲出されたはり紙等を撤去することで、街中の違法に掲出されたはり紙等がほとんど見当たらなくなってきています。このような景観を守る活動により、横須賀の景観が美しく保たれています。

また、置き看板等を道路上に掲出している事業者に対しては、市と協働して啓発活動を行っていますが、市民ボランティアという立場からの啓発が、掲出者の理解を促進することが多々あり、広告景観推進の大きな力となっています。

 

 

④芦名 淡島神社の流し雛 

  

 芦名の淡島神社は紀伊、能登と共に日本三社の一つに数えられ、三浦十二天の摂社として知られています。また縁結び安産の神社として江戸時代にはすでに三浦半島一帯から信仰されていたようです。

淡島さまの日、毎年「流し雛」の行事は桃の節句の33日におこなわれています。この行事は一年間の人間の身についた穢れ(けがれ)や災いを人形 にたくして流す古事にもとづくものであり、また淡島の神(姫神)がうつろ船に乗せられて島流しにされていたことにちなむものです。「流し雛」当日には3,000人以上の多くの方が淡島神社を訪れ、供養される人形の数は1,000体とも言われています。

地域におけるこの文化は、これからも永く伝え、つなげていきたい景観となっています。

 

 

⑤市立万代会館の文化祭活動 

  

 戦前戦後を通して経済界で活躍した万代順四郎氏の別邸であった万代会館は、昭和54年に市へ遺贈された木造茅葺の数寄屋風住宅です。木造茅葺の数寄屋風住宅は、現在では全国的に数が少なく、修復が難しくなっています。

横須賀建築探偵団は、相模湾沿いの県下各市で行なわれる「湘南邸園文化祭」に万代会館を会場として参加し、講演やお茶席、寄席等を行なっています。

 万代会館を広く知ってもらうという活動により、保養地として昔から知られる津久井の魅力を発信し、美しい景観を後世に残す役割を担っています。